2012年05月20日

風の辿り着く場所



流れる風景が好きだった
だけど、雪に凍りつく水溜りのように
ボクの時間は止まっていた
この四角い部屋の中で
季節の無い、時間の中で
ボクはずっと独りぼっちだった
繰り返し繰り返し、夢の中で同じ風景を眺めながら
明けない夜に身を委ねながら・・・
だけど・・・
ゆっくりと、夜が白み始めていた

今、長かった夢が終わりを告げる。
最後に1つだけの願いを叶えて。
たった1つの願い。
ボクの願いは…
(TVアニメ「Kanon」)
KANON BLU-RAY DISC BOX

IMG_4102.jpg


いよいよ明日21日、水素船ブルーノア号による金環日食中継を敢行します。我々「秋月」は国や自治体からの補助金を仰がず、国内外の出資者およびメンバの知力・行動力でここまで漕ぎ着けることに成功しました。後は好天を祈るのみ。当日早朝のお忙しい時間帯ではありますが、是非皆様のご視聴をお願い申し上げますm(_ _)m

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日食中継日時:2012年5月21日(月)AM6:00〜AM10:00まで中継予定(現地の予報は晴れです)

視聴先アドレスは、下記リンク先をご覧ください。
@ 大銀河放送局 USTREAM 
http://www.ustream.tv/channel/大銀河放送局
A ゴールデンリングと希望の船チャンネル ニコニコチャンネル  
http://ch.nicovideo.jp/channel/ch2525240
Bブルーノア号船外中継 USTREAM
http://www.ustream.tv/channel/bluenoah2012

※ニコニコ動画での観賞はアカウントが必要です。アカウントをお持ちでない方は事前に新規登録をお勧めします。
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posted by 冬の花火師 at 00:09| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

七七日が済んで

悪夢のような最期から一月半が経過し、先週末ようやく一区切りがつきました。心のこもった菩提寺住職の読経の間、私は死後の諸手続で新たに判明した分とあわせ、亡父の足跡やこれまでの出来事の経緯に思いを馳せていました。

東京府の通信系技術職員だった祖父の長男として世田谷(当時はただの原っぱがあちこちに広がっていたそうです)で生を受けた亡父は10歳まで東京で暮らしていました。この頃が一番幸せだったと姉によく話していたそうです(渋谷も今とはぜんぜん違って寂れた郊外だったとか)。その後数年間満鉄出向に伴い東京を引き払って渡満した祖父母とともにハルピンで暮らしていました。大東亜戦争が始まると海軍設営隊の技術スタッフとして徴兵された祖父は昭和19年3月任地に赴く途中で(おそらくパラオ近海で)米潜水艦に撃沈された輸送船とともに運命をともにしました(戦死は敗戦直前通達、遺骨なし)。このとき亡父15歳。皇国史観を植えつけられていたとはいえ、祖父の故郷の九州の地で戦死の報と前後して敗戦に直面した亡父の祖父の死に対する割り切れなさは察するに余りあります。

祖母は夫の死がよほどショックだったのか、それまでの価値観がひっくり返った戦後、全てにおいて投げやりになり、家計は亡父の双肩にかかります。高校卒業後亡き祖父の縁で東京都の臨時職員として働き、祖母や姉弟たちの面倒をみました。高校時代の恩師の励ましもあって自らも苦学の末大学を卒業すると同時に1級建築士をとって、市役所に入庁、建築指導課で市内の建築現場を駆け回る多忙の日々を送るようになります(この期間中アスベストを大量に吸い込んだのが原因で晩年は肺気腫で苦しんでいました)。私や姉が生まれた後も順調に昇進を続け、最後は部長兼環境センターの所長まで勤め上げました。

家庭では、ひたすら努力で身をたててきた自分自身の経験から「教育は一生を左右する」「勉強は一生やるものだ」を口癖のように繰り返し(自らも60半ばまでPCすら触ったことがなかったのにCADを勉強し始めたのを覚えています)、そのための子供へ協力・支援を惜しまない人でした(2人に毎月学研の学習と科学を買い与えたのもそのためだったのでしょう)。おかげで私も姉も、時には時代錯誤的なことを無理強いされたことで色々反発してきたとはいえ、理工系大学や理学大学院で教育を受けることができました。この点は感謝しなければならない。仮に今の私に子供がいたとして同じことができるのか?−はっきりいって自信はありません。

確かに偏屈なところも多々ありましたが、世界観は決して自己中心的ではなく、日頃から国の行く末や社会についてよく憂えており、昨年シンガポールから始まった私の「秋月」の活動にも理解を示してくれました。それにしても親父、オレの大学時代の電気化学や化学熱力学の専門書を読んでいたとは凄すぎるぞ、「燃料は燃やしちゃダメ」ってまさか親父の口から出てくるとは思わなかったぞ^^;

急死だった上に昨今急増している葬儀件数のため火葬場予約に余裕がなかったため時間が不十分だったのにもかかわらず、通夜には多数の元同僚や元部下の方が駆けつけてくれました。記帳リストには子どもの頃よく聞かされた父親の話に出てきた名前がずらりと並んでいました(思わず目頭が熱くなりました)。市役所退職から20年以上がたち、全員体の自由も利かなくなり勝ちな70代後半以上であることを考えれば、暇だから来た、なんてことではなく、これはもう亡父に人望があった証といって良いでしょう。自分の父親がここまで慕われていたことを死んでから初めて知るとは・・・子供として失格、情けないとしかいいようがないな・・・

30を目前に控えた頃、認知症になってしまった母親の時はもう本当にどうしようもなくて施設に入れてしまったのですが、いずれはメインで担当しなくてはならない介護を考え私が職場を変えたのを見て亡父は「お前たちに迷惑はかけん」と、おそらく生きがいを感じていたであろう財団の仕事を辞め、母親の介護に専念するようになりました。糖尿病も患いながらほぼ毎日県北まで通っていたのです。情けない私は何だかんだで多くを押し付けてしまいました。だからこそこの人には最期の瞬間をどこで迎えるか選ぶ権利がある、最低でもその希望だけは叶えなければならない、それが我が使命だ−母親の葬儀後目だって老い衰えてきた亡父を見て決心して実家に戻り一緒に暮らすようになって7年、その間も何度も入退院を繰り返す中でいつもと違うと感じた今回「肺炎が小康になった時がその時だ」と自宅で最期を迎えることを本人も希望しかつ覚悟の上で退院準備を進めてきただけに、あの結末はどうしても受け入れ難い−やはり最終的にはいつもここに行き着きます。ささやかな願い一つ叶えられなかった悔いの念を一生引きずるのは不可避だろう。結局父に対しては何も恩返しができなかった。よりによって院内で不注意極まりない事故のために出血性ショックで最後まで苦しませてしまった亡父の人生は果たして幸せだったのだろうか?葬儀後ずっと私を苦しめてきたのは正にこれでした。



「ではご焼香を」−我に返った私から順に焼香が始まり、やがて親族側最後の姪の順番になりました。母親の葬儀のとき小学生だった姪は今高校生になっています。今回も中間試験前にもかかわらずわざわざ足を運んでくれました。無理はしなくていいんだよと伝えていたのですが、本当に有難いことです。私にできることは、今となっては生まれた直後亡父が本当に嬉しそうに抱いていたこの姪の世代のためになることをすることしかない。生きていれば「お前もやるときはやるじゃないか」と笑いながらいつもの調子で小突いてくることだろう。当の本人がもうこの世にはいないのがつくづく寂しいところです。

来週21日、我々が開発・建造した世界最先端の水素船ブルーノア号上より金環日食を中継します。ニッポンが誇る快男児・山本太郎さん、新生日本を担う子供世代を代表して我らが「秋月」の頭脳・シズマ博士のご子息・ご令嬢がリポーターです。年明けから始動した「ゴールデンリングと希望の船」製作委員会の集大成、是非皆様のご視聴をお願い申し上げますm(_ _)m

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日食中継日時:2012年5月21日(月)AM6:00〜AM10:00まで中継予定(当日は晴れ、だそうです♪)

視聴先アドレスは、下記リンク先をご覧ください。
@ 大銀河放送局 USTREAM 
http://www.ustream.tv/channel/%E5%A4%A7%E9%8A%80%E6%B2%B3%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80
A ゴールデンリングと希望の船チャンネル ニコニコチャンネル  
http://ch.nicovideo.jp/channel/ch2525240

※ニコニコ動画での観賞はアカウントが必要です。アカウントをお持ちでない方は事前に新規登録をお勧めします。
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posted by 冬の花火師 at 00:39| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月18日

無念

先月末老父が医療事故で不慮の死を遂げました。当日の経過は以下の通りです。

午後6時すぎ:看護師病室内見回り
午後6時28分:医師から電話(電車内にて出られず)
午後6時56分:病室到着、カテーテルが外れ出血多量により意識が朦朧としている老父を発見、即ナースステーションに駆け込み対応命令、処置開始
午後7時3分:医師到着「さっき携帯に電話したんですよ」
午後7時50分:医師別室で状況説明「大丈夫でしょう、輸血で様子をみましょう」
午後8時18分:容態急変、医師と病室へ戻る
午前0時5分:心肺停止
午前0時13分:死亡確認

医師はカテーテルを握っていた老父が引き抜いたと一方的に主張(外れたのを元に戻そうとしていた可能性もあるはずだが)、ただ見回りに問題があったことだけを認めています。しかし毎晩私と会うのを楽しみにしていた老父が意図的に引き抜いたとは思えず、引き抜いたのが事実でも前の晩からの高熱(帰宅前38.7度)がための異常行動が原因と見るのが妥当です。これは認知症患者が引き抜く無意識行動と基本的には変わりません。

問題だったのは透析中やCT中も老父は高熱だったはずなのにこれを見落としたこと、高熱患者がカテーテルを引き抜く可能性を低く見積もったこと(認知症患者のように引き抜いたらセンサーが起動とかやっていない)、病室はナースステーションの近くでドアは開けっ放しで午後6時10〜38分までフロアを巡回していたという別の看護師(この人は部屋に入っていない)にも老父のうめき声は聞こえた(到着時私にも聞こえた)はずなのに対応しなかったこと、結果私が発見するまで事故が発覚しなかったということです(つまり残業していれば私は老父の遺体を発見した)。

病気が死因なら老父も納得できたでしょうが、全然関係のない初歩ミスで落命したとあっては遺族もやり切れません。許せないのは処置中老父に向かって医者が「何で抜いたの!」と怒鳴っていたこと(出血で激痛に耐えながら意識が抜けてゆく人間に向かって言い放つ言葉ではない)、私が室内には立ち入っていないという看護師の記憶と違いがあることを指摘するまで午後6時半にも確認したと虚偽の説明を私にしたこと(長時間放置していたことを隠蔽しようとしたと受け止るしかない)です。極めつけは午後8時18分に容態が急変した時看護師が何とAEDを持って大慌てで病室に駆け込んだこと。素人が応急処置で使うのを今頃持っていくようではもうダメだ・・・この時点で私は老父の死を確信しました。

大体医者の最初の言葉「さっき携帯に電話したんですよ」ってのは何なのだろう?看護師はどんな連絡をしたのか?18時過ぎに様子を見たという看護師の自己申告も非常に怪しくなる。

葬儀社に遺体安置後、いったん自宅に戻り関係書類を揃えているといつの間にかもう朝になっていました。そのまま葬儀の打ち合わせのため菩提寺に向かう途中、厳冬で開花が遅れていた、老父が見たがっていた桜がやっと咲き始めたのを見て思わず悔し涙を流しました(写真は老父がよく行っていた隅田公園の今年の満開の桜)。

SumidaPark.JPG
posted by 冬の花火師 at 22:24| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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